まいにちきろくノート

まいにちきろくノート

気になったことをきろくしていきます。

私が体調不良中に考えたあれやこれや。ドン引きの長さです。

こんにちは。

4歳の息子とワイワイやってる「とまと」と申します。

今日は体調不良中に考えたいろいろなことを。

 

もくじ

 

体調不良中こそいろいろ考えてしまう私です

更新が途絶えましたね!

体調崩してました!!!

 

でも私の体調不良なんてほんとよくあることで、夫に言わせてみれば「妻ちゃんが本当に元気な日は月に2日しかない」だそうなので、心配する必要は一切なしです。

体調崩すのが普通、しんどいのが普通。

 

息子が赤ちゃんのころは体調崩してても容赦なく授乳タイムが襲いかかってきていたので、その手持ち無沙汰解消&寝落ち防止にブログの記事を書いてたわけですが、今はゆっくり床に伏せることができますのでね。

ゆっくり、休んでました。

 

でもそうして昼間寝てると夜寝れなくなりますよね(公然の事実)

そして夜眠れなくなれば、私は色々なことをあれやこれやと考えてしまうのです。

 

え、体調崩してたぶん、仕事しろって?

今日は預けてる時間に用事があって出掛けているのさ!

ハッハァー!

 

病み上がりで若干テンションがおかしいですが、そしてそもそも前からこんなだった気もしてきましたが、ここから私が暗闇の中色々考えてたことを綴っていきたいと思います。

※明るい話ばかりではないのでご注意を!

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(写真は私がうろ覚えで描いた、Eテレ0655の今年の干支ソング「たつこたつ」です。文字は息子。ローマ字は前から何も見ずに書けてたけど、最近はひらがなもわりとスイスイ書けるようになってきました。成長してる〜)

 

とまと氏、親戚の中で賢い子扱いされたことが一度もなかった

1発目から何の話やと思われるでしょう。

そのままのお話です。

 

我が家は夫も私も京大卒で、いわゆる高学歴夫婦です。

夫の親戚には京大あたりの大学を卒業している人が1人もおらず、夫は義実家で「めっちゃ賢い自慢の子!!!!」として崇められています。

過言ではなく、崇め、そして祀られています。

もはやその存在は神に近い。

 

私が義実家に初めてお邪魔したとき、義母さんは夫の小学生のころの通知表を出して、「この子は昔からこんなに賢くて〜」という話をしてくれました。

でも空気が読めず過度に緊張していた私は、

「あ、私もこんな感じでした〜懐かしい〜」

なんて素の返答をして場の空気を凍らせました。

 

当時は「やっちまった!!」と思ってものすごく反省したんですけど、今思えば、京大行く子ってみんな小学生のとき「よくできました」オンパレードな成績表をもらってるのはごくごく普通なことだろうし、そこで「わあ、夫くん賢い〜」ってやるほうがうさんくなさくないか?と思ったり思わなかったりします。

 

まあそんなわけで、夫はとにかく義実家で「賢い子!!!」「すごい子!!!」として扱われてるわけですが、今年の正月帰省から帰宅してふと、私今までそんな扱いされたことなかったなって気がついたんです。

これは、私だってすごいもん!すごいって言われたいんだもん!ぷんぷん!みたいな話ではなくて、ふと、はたと、そういえば、そんな扱い一度もされたことなかったなって、初めて気がついたって話なんです。

これまで一度も意識したことがなかった、初めての気づきでした。

 

私を愛してくれた母方のおばあちゃんがくだす私に対する評価は、いつだって、「とまとちゃんはお絵描きが上手な子。将来は画家さんかな?」でした。

私はそれがとてもとても嬉しくて、言われるたびものすごく幸せな気持ちになってたんですよね。

 

だから、ほんとに、「私も賢い扱いされたかったああああ!!!!」って話ではないんです。

いや、今でも賢い扱いされたらめっちゃ嬉しいんですけどね?

でも、自分の自分に対する評価はそこまで高くないので、ひとしきりめっちゃ喜んだあと、その日の夜くらいにめっちゃ落ち込んだりします。

そんな賢くないのに、思い上がってしまったーって、恥ずかしくなります。

複雑な生き物です。

 

じゃあ何を思ったのかというと、私ってそういった意味でも少し特殊な環境で育ったのかもしれないな、と。

いい成績をとったりいわゆる難関校に合格しても基本スルーされるっていうのが特殊環境であるという自覚はあったけど、一般的にはそれプラス賢い子扱いもされるっていうのは盲点だった。

まあそんな環境だからこそ、自分からイノシシのように、特にプレッシャーを感じず勉強に向かっていけたところはあるのかなとも思うんですけどね。

(ちなみに同じ思想の元で育った弟は一切勉強せず、小学校の算数からガッツリつまずいてヤンキー高校に進学したので、この関わり方が正しいとは一切思いません。むしろめっちゃ危険。授業中、運動場にバイクが何台も乗り込んでくるって平成でも珍しかった気がする。ヤンキー学校に行きたくて行く場合はいいけど、そうじゃないならこの関わり方はあまりおすすめできません)

 

で、だからなのも少しあるのかなと。

私は私が賢いと思えない。

 

世界を2つに分けたら、そしてペーパーテスト能力なら、たぶん賢い側に入るとは思うけど、自分から自信を持って「私ってば賢いぜ!」とは思えない。

 

ブログの記事を書くときは、いつも大方書き上げたあと、誤字脱字やリズムの悪いところはないかチェックするんですけど、そのたび「こいつ『思う』『思う』うるせええええええ!!!もっと他に心情を付加した別の言い方はないんかい!この語彙力欠如マンめが!!!もっと言葉を学び直せえええええ!!!」って頭の中で憤りながら同意語を検索をしたりします。

ニュースの本文やそれに関するコメントなんかで知らない言葉が出てきたら「ハイまた知らん言葉出てきた!ハイ教養のない人!ハイ調べて!!!!!」って頭の中の何かに急かされながらぐぐったりします。

他人に強要することはないんですけど、なぜだか自分にはすごく厳しくジャッジしてしまいがち。

そんな思うところあれば、もっと本読めよ!!ってね。

うふふ、私が読むのは漫画だけです。

 

何の話やってね。

ちなみに読書といえば漫画のみ、のような私のような人間でも、読解のルールさえきちんと理解していれば、現代文の記述模試なんかで満点とれるようになります。

古文崩壊してても京大模試で国語の偏差値60超える成績とれるようになります。

読書で得られる教養はたくさんあると思うし、それで国語の成績アップにつながることはもちろんあると思うけど、漫画でも語彙は山ほどアップするので、意外と両者にそこまで大きな差はないのでは…と思ったりする漫画大好き人間です。

いや、自分がイレギュラーなだけか?

でも、漫画も捨てたもんじゃないんだぜ!

 

なぜいとこが図形の回転であんなに手こずっていたのか、長年の疑問がやっと解消されました

さて、上で夫の親戚の話をしましたが、私の親戚だって、親や祖父母、おじおばの中に京大あたりの大学出てる人は1人もいません。

うちは父が指定校推薦からのボーダーフリー大学卒だし、母は公立普通科どこも受からないからと苦手な家政科に進み、そのまま高卒就職した人です。

物心つく前から年に数回会っていた母の姉は専門学校卒だし、その旦那さんも別に普通です。

 

だけど、私含むそこに集まる孫たちは、4人中半分が京大に、1人が神戸大に行きました。

いったい何が起きたってんだ。

 

いとこの兄のほうも、私も、いとこの妹のほうも、みんな同じ高校を卒業しています。

偏差値75の、進学校

いったい何が起きたってんだ。

 

あ、私が賢い扱いされなかったのは、いとこの兄の存在が大きいかもしれない。

彼はその高校志望の人がほとんど集まる塾の中で、全校舎中トップの成績を取り続けていたから。

その校舎トップじゃなくて、何十とあるすべての校舎の中で、トップ。

うーん、でも、彼も別にめっちゃ賢い扱いされて…いた?か?いたような?気もしてきた?くらいの感じです。

まずたぶん高校でさえ偏差値55超えるところに進学するような人が孫除く親戚の中に誰もいなかったから、みんな、「へえ、お勉強できるんやね〜」な感じでよくわかってなかったんだと思う。

夫の実家のみなさんは、教師をされている方が何人かいらっしゃるから、また違うんだろうな。

 

さて前置きがめっちゃ長くなってしまったんですが、二つ目の考え事は、いとこの妹の方が、その高校にいざ受験するぞ!って時期の話です。

当時おばあちゃんの家に避難していた私(理由もろもろはここでは割愛)は、とまとちゃん質問してもいい?って何度かいとこの妹ちゃんに言われて質問対応してたんですよね。

 

で、今でも覚えてるのが、数学の質問。

平面図形を回転軸に沿って回転させて出来る立体の体積を求めなさいという問題。

どう解いたらいいかわからない、ということでした。

 

このとき、私は、ひそかに、背筋を凍らせていました。

えっ、これの何が難しいんやろ。

回転させて、その立体の体積求めるって、不明瞭なところがひとつもないやん。

もう、そのまんまやん。

言われたことを、ただ順にこなすだけやん。

えっ、何がわからないの???

えっ、わからん、こわい。

 

ひそかに、そんなめっちゃ失礼なことで頭がいっぱいになっていました。

で、

これは、このこ、志望校受からないだろうな…

とさえ、思っていました。

受かりましたけどね。

めっちゃ失礼ですよね。

 

でもずっと、それこそ塾の講師を何年も経験したあとでも、このときのことはずっと引っかかっていたんです。

なんであの高校に受かる力はあるのに、あの問題は解けなかったんだろう、って。

 

そしてその長年の謎が、先日ついに、解けました。

何かがきっかけとしてあったわけじゃないんですけど、午前3時ぐらいに寝室の暗闇の中、ふっと、謎が解けたんです。

 

いとこちゃんに力がなくて解けなかったんじゃない、私が図形の回転に異様に強かっただけなんだ…!!!!!って。

 

子育てしてると、たまに、いやそこそこ?子どもに対する勉強面での関わりについて、さまざまな記事を見かけることがあります。

で、子どもが小さいうちは、好きなことに没頭させるのがいいなんて内容を、よく目にします。

私はそれを深く考えてなかったんですけど、ああそういうことかー!と。

 

私、絵が好きで、子どもの頃は四六時中絵ばかり描いてたんですよ。

小学校のテストの時間は、高速で全問解いて、余った時間はひたすら絵を描いてました。

休憩時間も、放課後も、休みの日も。

いや、スポーツもしてましたけどね。

でも絵は描きまくってました。

 

特に理由はないんですけど、とりわけ物体を回転させてさまざまな視点からその物の見え方をイメージする、っていうのが好きで、それは今でもふとした瞬間やることもあるくらいです。

例えば、スニーカーを頭の中に思い浮かべて、それを360°好きな方向に回転させ、さまざまな角度からイメージするんです。

この角度はどうだ、この角度は?

イメージできる?自分で描ける?

そんなことを、よくやってました。

変態です。

 

だから、回転軸に沿って、プリントに印刷してある図形を回転させるなんて、造作もないことだったんです。

いつもは、頭の中にイメージした、目の前には存在しない架空のものを、くるっくるくるっくる回転させて楽しんでいたから。

はっはー、なるほどね〜と、15年以上経ってから、納得することができました。

 

当時はこんな超簡単なものがわからないなんていとこちゃんかなりやばいのでは?と本気で心配したけど、実際は私が幼少期にその手の訓練をやりまくってただけだったっていうね。

なるほどね〜

 

こんなことも人生2倍生きてみないと気づけないなんて、人間ってほんと未熟な生き物ですよね。

いや、私という一個人だけの事例を人間全般にあてはめたら失礼か。

でも、これは個人的に私が痛感してることでもあります。

人間って実はとっても未熟。

知らないことが多すぎるし、他人と自分の差異に気づきにくいし、見えてる視野が狭すぎる。

…いや、これは私個人に言えることだな。

 

私はめっちゃ未熟だし、気付いてないことが多すぎるし、世の中には色々な人がいる。

自分の真の長所って、たぶん自分では気づけないんだろうな。

短所は自分で認識しやすいから、気になってしまいやすいのかもしれない。

 

もう既にめっちゃ長いんですけど、この流れでもうひとつだけ。

 

私に対する評価を最も正しくくだすことができるのはいったい誰なのか?

一昨年の冬ですね。

これまた、私の中でズガガーン!と脳天揺らすような気づきがありまして。

 

一昨年の夏、友人の結婚式に出席するため、東京の地に降り立ちました。

そこで、いい機会だし、仲のいい友人に私と会う時間を作ってくれないかと尋ねてみたところ、なんと東京にいる旧クラスメイトをざっと集めてくれることになったんです。

もう子持ちになった私は今後こういうことでもないと東京まで出てくることはできないだろうと、優しい友人は気を利かせてくれたわけですね。

 

だけど、内心、私はめっちゃびびってました。

 

私のティーン時代は、細かくは伏せますが、暗黒時代と言って差し支えないものです。

いや、語弊があるかな。

私のティーン時代、実家における私のおかれた環境というのは、暗黒時代といって差し支えないものでした。

卒業から10年くらいして初めて当時のあれこれを伝えた友人には泣かれてしまいましたし、当時とてもよくしてくれていた先生からは「不良になろうと考えたことはなかったの?」と素直に聞かれてしまったほどです。

 

20代はそういったさまざまなものと対峙して自分を見つめ直すことに時間を費やしたと言っても過言ではなくて。

25歳あたりのころなんかほとほと疲れ果て、自分は本当に価値のない人間だなーと、ぼんやり考える日々でした。

やっぱり人格否定はよくない、ダメ、絶対!

 

そんなわけで、そのありがたい集まりも、私に会いたい人なんかおらんやろとか、卒業ぶりに会う子にどんな顔して会ったらいいんやとか、私って高校の時どんなキャラやったっけとか、あれやこれやを直前までぐるぐる考えて落ち着かずに迎えました。

まあ結果、集まってみたら集まってみたで、めっちゃくちゃ面白かったんですけどね。

そしてそれが面白すぎて、こっちでも同窓会を企画・実行することになったんですけどね。

そういう行動力はあるんだなあ〜

大学生のときも幹事してクラス会開いたしな〜

 

でまあ何の話かって、そのこっちで開いた同窓会の話ですよ。

自分で幹事して自分で連絡して集めたくせに、やっぱりまだいろんな不安が尽きなかったんですね。

高校時代の私といえば、20代、特にその後半にかけて親からこれでもか!ってくらい否定され続けた存在なわけですから、そらもう私の中ではどん底評価な存在でした。

高校は楽しかったはずなのにね。

成績も良かったはずなのにね。

 

で、その同窓会で、予約した店に向かう道中、ぞろぞろと移動する中、ある男の子(もう男の子と言える歳じゃないけど)と並んで歩くことになって。

彼は2年間クラスが同じになった、東大に進学した男の子でした。

大京大クラスだから塾でもずっと同じで、1日の大半を同じ空間で過ごした子。

当時は普通にしゃべるし、塾でタイミングが同じになれば一緒にお昼を食べることもある、そんなよくありふれたクラスメイトでした。

で、お店に向かいながら、私、ぽろっと言ったんですよ。

「私、高校の時、どんな感じだったっけ?全然覚えてなくてさ〜」

家が暗黒期で、家で過ごすときはいつも顔死んでて、ここ数年親からボロッカスに言われ続けてきた私、さぞ高校でも暗く面白みのないやつだったことでしょうと思いながら、半ば心震わせながら放った一言だったんですけど、返ってきたのは、

「とまとさんは、いつもクラスの中心で笑ってたよ」

というものでした。

「おれみたいな大人しい男子にも話しかけてくれてありがたかった。今日もありがとう」

 

なんか、心の奥深くにしまってあった何かが、ふっと溶けて急に春を迎えたような、そんなじんわり温かい感覚を覚えました。

 

彼のそのものすごく予想外な返事は、私のそれまでの暗い考え方を、大きく変えるきっかけになってくれました。

 

そもそも私のことをコテンパンに悪く言い続けていたのはうちの家族(実家)だけだったなあ。

他の人からもらう評価とは全く異なるものだったのに、どうして自分の家族からの評価ばかり重要視して、嘆いていたんだろう?

 

20代後半は、「先生としての私」と「実際の私」との差についても、かなり悩み落ち込んできました。

私が意識して作り上げてきた「先生としての私」が評価されればされるほど、生徒たちから慕われれば慕われるほど、実際の自分との違いに絶望し、なんで自分はこうなんだと嘆いてばかりいました。

 

けれど、「私が私にくだす評価」って、あてにならないなあって。

私に対する評価は、私や家族以外にも、たくさんの人々から日々下されていると思います。

それは評価なんていう堅苦しい表現でなくても、たとえばブログなら、「またとまとさんったら、うだうだ考え込んじゃって」みたいな、そんなライトなものも含めると、本当に日々、たくさんの人からさまざまな評価をいただいてると思います。

 

もう数え切れないぐらいの人が私に対してあれやこれや思ったり感じたりする中で、私や私の家族(ここでは実家の人々)ばかりをピックアップする必要って、全くないなって。

なーにを、自分に不利な人たちの意見ばかりを選び集めて、ああだこうだ嘆いていたんだろうって。

自分に不利な意見を言ってくるっていうのは、私も含めてですよ。

ほんと、いつもいつも、ネガティブな道を自分から手繰り寄せてしまうんだから!

ネガティブ大好きか!

反省しろ!!!(これもネガティブ)

 

ここ数年くらいでやっと気付いたんですけど、私、たぶん根は明るいんだと思います。

先生してるときが、逆に、素なんだと思います。

みんなで仲良くワイワイするのが大好きだから、目立たず大人しくしていようって決意して入学した高校でも結局文化祭のクラス委員なんてやっちゃうし、誰かがみんなで集まりたいなーって言ってたらすぐにクラス会企画しちゃうし。

先生やって、ウッキャー!ってはしゃいでるのが、自分の核になる素の部分なんだと思う。

 

はー、これも、気づくのに随分かかったなあ。

私、意外と明るいんだなあ。

 

明るくニコニコしてる姿を評価してもらって、そのたび、真の私はそうじゃないんですオヨヨ…とか思ってたけど、真の私は多分その通り明るくて、私が勝手にマイナス評価ばかり拾い集めてただけなんだなあ。

自ら進んでネガティブな世界に入り込んでいくって、ほんと世話ないわ。

 

読んでる人しかわからないと思うけど、私が大好きなジャンプラの漫画「正反対な君と僕」だと、平(たいら)と東(あずま)に共感しまくりな私です。

平の考え方は少し前までの私の思考そのものです。

自分で嫌な記憶を掘り返して反芻し、また嫌な気持ちになるっていう。

何にも生産性がないんだけど、やめられない。

だけど私、東にも共感がとまらないところがあります。

雑に扱われたときに、辞めてって言えない。

わかる〜って思いながら、読んでました。

 

何の話やってね。

 

30代も折り返し地点がうっすら見えてきた今日この頃、新しくフレッシュに気づくことが多い私なのでした。

未熟、未熟〜!

 

おわりに

なっっっっっが。

スクロールバーが異常な短さになっている。

何字あったと思います? 

うふふ、8400字です♡

課題か!!!!

大学のレポートか!!!!

 

今日は美容院に行く予定があったので、それを終えたあと、お迎えに行く時間までひたすら打ち込んでました。

そして夜、文の乱れとか誤字脱字とか直してました。

1時間かけて。

そりゃこんだけ文字数あるんだし、それくらいかかるよな〜

 

いろんなブログの書き方がある中、おそらく非常に効率悪い書き方してるんだろうなーと思いつつ、そろそろこのへんで締めたいと思います。

 

まあ、書きたかったのは、どれだけ気をつけて配慮するように努めていたとしても、他人の考えや状況っていうのは推しはかるには限界ってものがあるから、自分のことも含めて、もっと多角的に複数の考えを持てるようになりたいなーということ。

いや結論それかーい!って思われるかもしれませんが、これを2024年の目標にしたいと思います。

 

いえーい、2024年、楽しんでいくぜ!!!