まいにちきろくノート

まいにちきろくノート

気になったことをきろくしていきます。

年少男児に対する目からウロコの接し方。その発想はなかったし、職業柄かなり厳しい話かもしれない…!

こんにちは。

3歳の息子とワイワイやってる「とまと」と申します。

私はもうちょっとゆるく考えていいのかもしれない。

 

もくじ

 

目からウロコの考え方。その発想はなかった…!

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「毎日靴を左右反対に履いて帰っている子がいるが、それは何も咎められるようなことではなく、先生もお母さんもあたたかくその子を見守っている」という目の前の現実に、そしてそういったあたたかい発想にこれまで一度も至ることがなかった自分に、私は頭をズカーンと殴打されたような感覚に襲われました。

ははー!!!なんとまあ!!!

 

私だったら絶対声をかけちゃうんですよね。

「あっちゃー!息子くん、靴反対になってるよ!うっかり!」とか。

 

例えばズボンの前と後ろが逆になっているときも、絶対声をかけてしまいます。

「息子くん、ズボンの前と後ろが反対になってるよ!はずかし、はずかし!気づいてよかったね!」とか。

 

いずれもおどけた言い方にすることで、息子の自尊心が傷つかないよう配慮しているつもりでした。

「そんな失敗よくあるよね!お母さんもたまにやっちゃうよ!なんてことないさ!」な空気を全面に出したりもして。

言われた息子も「てへへ、うっかり☆」とでも言いそうな照れた笑顔を浮かべて直してくれるので、それでいいと思ってました。

まさか、「間違っている」ということすら私の主観に過ぎず、時と場合によってはそれは許容されうるものだったとは。

目からウロコがポロッポロでした。

 

なんか、もっと、ゆるく構えていいのかもと思いました。

定期的に同じこと言ってますけどね。

今回も同じことを思いました。

 

もう自分で十分気づいていることなんですが、私は私自身にmustを課しすぎなんですよね。

そんな世の中「〜しなければならない」ことなんて案外ないんだなと気づいたのは、たぶんそれこそ30歳が近づいたころだったんじゃないかな。

それまで意図せずとも育んでしまった「〜しなければならない」という思考回路が、息子に対する「自立した子に育てないといけない」という思いを大きくしすぎてしまってたのかも。

 

なんか、あれなんですよね。

ひとつ息子に課題を課すと、どうしてもやりきってほしいなって思っちゃう。

勝手に課したのは私の方なのに。

なんて迷惑な話だ。

 

例えばお風呂。

自分の頭と体を一度は自分で洗いましょう、というのを少し前から息子に課してきたけど、このタイミングで課したのは私の勝手な判断なんだよなあ。

で、それで、洗わずに遊んでばかりいたら注意される息子。

なんだか不憫に思えてきた。

 

靴を反対に履いてもOKなんだから、頭や体を自分で一度は洗うとなっていたとしても、ちょこちょこ手伝ってあげてもいいんじゃないかなと。

いや仕上げ洗いはもともとやっていたけど、息子が自分1人で洗う時も、「お母さん足を洗うの手伝うから、息子はお腹洗ってね」とか言って、もっと息子が自分で洗いたくなるような関わりをしてもいいんじゃないかと。

もうちょっと、「自分でまず洗いきる」という段階は、先の目標に設定してもいいんじゃないかと。

 

まあ、それで、なんでもかんでも結局お母さんがやってくれるんだ〜とか思わせてしまったら、よくある「あの子ってほら、男の子の一人っ子だから、甘やかされてきたのよ…」と言われる子になってしまうんだろうけど。

いやー、難しい、難しい。

 

とにかくここ数日は、息子をひたすら抱っこしまくってます。

抱っこと言われて抱っこするのもそうだけど、特に何もないタイミングでおもむろに両手を広げ、「さあ、息子、おいで!!」とかやったりしてます。

息子はこちらに気づくと弾けんばかりの笑顔を浮かべて、駆け寄ってきてくれます。

これでいいんだなあ、子育てって。

息子を抱きしめながら、ぼんやりそう思いました。

 

職業病との戦い

私は塾の講師を長年やってきていて、しかも勤めてきたのはどれもバリバリの進学塾でした。

「こうあるべき」という正解がはっきりしていて、その正解にどれだけ生徒を近づけていくことができるか、そこが問われる仕事をしていました。

なので、どうしても、「ここがいい!」とか、「ここがおしい!」とか、そういった評価軸を通して息子を見てしまいがちなんですよね。

その評価軸によると、靴を反対に履くことはどう考えても「まちがい」なんだけど、でも今回、それは「まちがいではない」という価値観に触れて…

私の価値観、せっま

って思いました。

せまい、せますぎる。

そして固い、固すぎる。

 

いやでもこれ、難しいなー。

「やらなければならないことに楽しさを加える」ということに関しては、割と柔軟なアイディアが浮かぶ方なんですよ。

例えば歯磨きを嫌がる息子に、「じゃあこの歌が1つ流れている間は、自分で歯磨きするっていうのはどう?」とか。

お着替えを拒む息子に、「じゃあこの動画のダンスを踊りながら、少しずつ着替えてみるのはどう?」とか。

最近の流れなんですけどね。

洗面所で私が化粧をしている間、息子は動画を見ながら歯磨きとお着替えを済ませるって。

なんならそのままワークもやりたいとかで、近頃は無印の蓋つきバケツの上でワークしてたりします。

今朝は英語の歌動画にあわせて一緒に踊りながらお着替えしました。

 

でも、そもそもの出発点の「やらなければいけない、息子にとっては楽しくないこと」が「実は絶対に守らないといけないルールではなかった」と気づくのは、かなーり、難しいと思うんです。

私にとっては特に。

難しい、難しすぎる…

 

今後は、何かを息子に促す前に、「それって本当に必要?」「それって本当にmustなの?」って自分自身に問いかけてみようと思います。

 

おわりに

ここ数週間で息子が「中に入ってる人、変わった?」ってくらい激しく変化したのは、幼稚園でいろいろな振る舞い方を学んできたからだと思うんです。

 

息子は生まれてすぐにコロナ禍に突入し、兄弟もいなければ従兄弟の住まいも遠く、思えば「振る舞い方のパターン」をあまり知らずにここまで来ました。

自分の希望が通らないときは、物を投げて抵抗してみる。

やらなきゃいけないことがあっても、やだよ〜って甘えてみる。

そういう、新しいパターンを学び、かつ家で自分でも実践しているのでしょう。

なんて素晴らしいインプットとアウトプットのサイクルなんだ。

…いかん、また職業病が。

 

色々な選択肢を学び、それらを自分でも試してみる、というのは本当に素晴らしいこと。

ただそれに対してお母さんが「はい、そうですか」と言うとは限らないというのはまた別の話だけども。

このあたりは息子も母も学んでいかないとですね。

…ああ、また出た、must。

癖だなこれは。

 

昨日今日で色々考え込んでいたことを書き綴ってみました。

家族が笑顔で過ごせるのが1番、だけど、笑顔を優先し過ぎて自分じゃ何もできないなんてことになってもらっちゃあ、それはそれで困る。

いやー難しい。

難しすぎるよ〜!