こんにちは。
2歳の息子とワイワイやってる「とまと」と申します。
今日はちょっとしたつぶやきを。
もくじ
私は「聞かない・見ない」を意識的にしたほうがよさそうです
少し前にツイッターを始めて、驚きました。
みなさん、知っていますか。
今のツイッターって、フォローしていない人のつぶやきが、大量にタイムラインに流れ込んでくるんですよ!!!
「今注目のつぶやき」だとか、「トピック」だとか。
全然求めていない情報が、大量に流れてくるんです。
私、少し疲れてしまいました。
Twitterを始めて、今まで知ることができなかった読者さんと触れ合えてとても楽しいのだけど、タイムラインがフォロワーさん以外のツイートで溢れまくってフォロワーさんのつぶやきはなかなか表示されないのはなぜだ。
— とまと@まいにちきろくノート (@atamani_futaba) 2022年8月23日
非表示にしても非表示にしても復活してくる。
なんだこのモグラ叩き機能は…!
このリプで、「リスト」という、自分が表示したいもののみを表示できる機能を教えていただき、今は基本このリストだけを見るようにしています。
ツイッターに限らず、他のあらゆる媒体においても、自分がしんどいなと思ったら無理してその情報を見聞きする必要はないんだよなということに、今日改めて気がつきました。
世の中にはたくさんの価値観があふれていて、何が絶対によくて何が絶対に悪いということはない。
だからそれぞれがそれぞれに意見を発信するわけだけど、そのなんてことない意見に私はぐらつく確率が高い。
だったら、取得する情報を、あまり広範囲に増やさないほうがいい。
出産後、入院中にとっても優しい助産師さんに言われた言葉を思い出しました。
「心配しなくても大丈夫。あなたもすぐに、自分のお母さんのようになれますからね。意識しなくても、気づけば似ていくものなんだから!」
背筋がぞぞぞ~と凍りました。
その助産師さんはとっても優しく親身になってくださった方で、今でも大好きです。
でも、この言葉は当時の私に、それはそれは深い深いダメージを負わせました。
まともな母親になれるかどうか心配で、母子手帳の記入すらなぜか恐怖を感じ、必要最低限しか書きこめていなかった私にとっては、その後の2年間を大きく縛るセリフとなってしまいました。
助産師さん、ごめんなさい。
でも助産師さんのことは、今でも本当に大好きだし、感謝しているし、あなたが担当してくれて、心からよかったと思っているんです…!!!
「正しいこと」「いいこと」だからといって、自分にとってプラスになり続けるとは限らないんだなということを、この年になってようやくわかってきました。
ツイッターやってたら、その手のツイートがめっちゃ流れてくるんですよね。
「子どもを愛しましょう。愛された子供は、人の愛し方を学び、人に優しくすることができます。子への愛が孫へ、ひ孫へ、どんどん受け継がれ、幸せの連鎖ができていくのです。愛されて育った人間は強いのです」
みたいな、宗教的なツイート。
いや、わかるんですよ。
世間一般の親にとっては、フンフン、その通りだ!明日も我が子を愛していくぜ!とやる気につながるツイートなんだろうなということ。
でも、愛されて育っていない人間からすると、
「ほう、それでは愛されずに育った人間は、人の愛し方を学べず、他人に優しくすることができず、欠陥人間になると?孫も、ひ孫も、不幸の連鎖が続いていくと?うるせー!!!」
とか思っちゃうわけです。
金カムの尾形、ちょっとここにおいで、少し私とひねくれトークでもしようじゃない、とか思っちゃうわけです。
「~はかわいそうだ。こんな親は信じられない!」系のツイートも苦手。
だいたいその「かわいそう」に該当しているから。
わかったわかった、かわいそうなのはわかった。
そのかわいそうな環境の中、這い上がって頑張っているところだから、ほっといてくれ、と思っちゃう。
その人は私に向かってつぶやいているわけではないので、私が勝手に話を聞いて、私が勝手にプンスカしているだけなんですけどね。
精神衛生上、非常によろしくないですね。
過去は変えられないけど、現在は変えられる
この言葉を思い出せば、たいていすぐに落ち込み期から復活できます。
まあ落ち込んでるときに限って、なかなか思い出せないんですけどね!
自分の中に、嫌だなと思うことがいくつもある。
育った環境が環境だけに、自分の芯みたいなものを、信じられないことも多々ある。
だけど、それは今この瞬間から、変えていくことができる。
落ち込んでいるひまがあるなら、今この瞬間から、なりたい自分に少しでも近づけてみたらいいじゃないか。
考え方を少しでも、変えていったらいいじゃないか。
辛い過去があったのは、もう変えられない。
だけど、現在や未来の自分は、変えることができる。
明日をどう生きるかは、自分で決められる。
ニュースやSNSで見聞きする情報が辛いなら、見なければいい。
聞かなければいい。
なりたい自分があるなら、その自分に近づくためにはどうしたらいいのか、考えて、行動したらいい。
自分が見聞きすることでマイナス方向に引っ張られてしまうものは、それが世間一般では正しいものであったとしても、自分にとってはマイナスでしかない。
情報の取捨選択も、自分でできること。
主体的に動いて、毎日の中に幸せを見つけていくこと。
よし、元気出てきたぞ~!
「おかあさんは、おかあさんがだいすき」
息子には気持ちを言葉にして伝えるよう意識しています。
寝る前には抱きしめて、「お母さんは息子のことが大好きだよー!とってもとっても、大事に思っているよー!」と伝えます。
言われた息子は、毎晩とても満足そうで、とても嬉しそうな笑顔を浮かべます。
また、続けてこうも伝えます。
「お母さんは、息子のことが大好き。お母さんは、お父さんのことも大好き。みんなのことが、大好きだよ」と。
そしたらある日、息子が言いました。
「おかあさんは、むすこがだいすき。おかあさんは、おとうさんがだいすき。おかあさんは、おかあさんがだいすき」
ギクッとしました。
私は、私のことが、たぶんまだあんまり好きじゃない。
仕事をしているときとか、なぞのテンションを発揮してイケイケなブログ記事を書いているときの自分は結構好きだけど、まだまだ好きじゃないところがたくさんある。
でも、一呼吸置いたあと、言いました。
「お母さんは、お母さんも好きだよ」
これが、親は子供に育てられるという現象でしょうか。
私も、自分を好きな自分でありたいと、強く思った一件でした。
おわりに
ダークな部分をあまり表に出さないように、読者さんに不快な思いをさせないように、気を付けてはみたのですが、気づかぬうちに闇が漏れ出ていたらごめんなさい。
なんてことない文章に私が傷つくことがあるように、私の記事を読んで心がチクりとする方もいらっしゃると思うんですね。
地理本見てテンション上がるってなんだこいつ!変態か!みたいな。
そんなときは少し距離をとってもらえたらなと思います。
とりあえず今日の私は小さな幸せをたくさん見つけることができました。
初夏ぶりに朝から公園へ。
— とまと@まいにちきろくノート (@atamani_futaba) 2022年8月29日
「楽しいねえ、楽しいねえ」
「あっちは何があるかな〜?何かな〜?わくわくするね〜!わくわくだね〜!わくわく!わくわく!」
口調や言ってることが完全に私な息子を見て、育ってるなーと思いました。前はこんなに喋ってなかった気がする。大きくなったなあ。
こんな穏やかな生活を今後も続けていきたいです。