こんにちは。
2歳の息子とワイワイやってる「とまと」と申します。
息子に「お片付け期」が来たかもしれません。
そして僭越ながらちょっぴり育児観みたいなものを語ってみます。
もくじ
なんだこれ!お片付け期!?
親が介入することなく、1人で始めて1人でやり切りました。
なんだこれ!お片付け期か!?
ひとつ拾ったらオモチャ棚まで駆けて行き、所定の場所に片付けたらまたオモチャを拾いに駆けて来る。
まるで機械のようでした。
オモチャ専用お片付けロボット、「MUSUKO」、爆誕です。
少し前に公文のジグソーパズルを買ったのが影響してるのかなあ。
これ、6ピースのパズルからは専用のお片付け箱がついてるんですけど、それがどうやら息子の「お片付け欲」をやたら掻き立てるようなんですね。
遊びの延長なのか、ピースを箱へ入れるのも楽しそうだし,箱へ入れ終わったら、そのまま流れるようにテレビボードの引き出しに仕舞うし。
なんだこれは。
公文さんがすごいのか、なぞの「お片付け期」が来ているのか。
今息子は横でぐうぐうお昼寝してるんですけど、今日のお昼寝前も「おやすみしよっかー」と声をかけただけでお片付けを始めていました。
今日はパズル出してないのに!
折り紙とか小麦粘土で遊んだのに!
アイアム傍観者
私は親バカなので、「やだ息子ったら…天才なのかしら?」で頭がいっぱいになっています。
今までやってきた、
- お片付けの歌(愛あふれるオリジナルソング)を歌って、お片付けタイムを意識してもらう
- お母さんはこれ片付けるから、息子はこっちお願い!と、お片付けしやすいものからひとつずつ渡していく
- ひとつ片付けるたび、一緒に喜ぶ
- 片付け場所を固定して整理し、息子でも片付けられるようにする
などなど、これら小さなことが積み重なって、今の息子を形作っている…!?(歓喜)と、3秒間だけ自分を褒めました。
でも最近子育てしててしみじみ思うのは、
私が息子に与えられる影響なんぞミジンコほどしかないわね。息子のすごいところは、息子本人の力によって開花したものであって、私はただ横にいただけだよなあ。
ということ。
「もしかして今までの関わりが実を結んだのかな!?」と数秒喜びはするんですけど、
「いや私が特に何もしてなくても息子はこうだったかもしれない」
「息子天才まじぱねえ」
に毎度帰結しています。
環境を整えることはとても大事なことだと思っていて、そこは私も少し貢献できてるのかもしれないけど、息子のすごいところのほぼ全ては、息子が頑張ったり努力した結果だよなあとなんだか最近やけに思うんです。
いろんな考え方があると思うんですけど、息子にべったり生活3年目の私は今そう思っています。
これからまた変わっていくのかな。
「天才」や「すごい」という褒め言葉は必ずしも悪とは思わない
ところで「天才」という言葉をあまり使うべきでない(その人の努力を否定することになるとか)みたいな意見もありますけど、私は天才って言われたら素直に喜ぶバカなので、「天才」という言葉は好きです(バカ)
「天才」とか「すごい」という言葉を使うと、子が努力しなくなったり結果ばかり気にするようになる(カンニングに走る)という話もありますし、実際確かにそうなってるケースを何度か見てきましたけど(前職塾講師)、それは過程や努力を一切見られずにただただ結果だけを評価され続けた場合に限ると思うんですよね。
だから私は過程や努力にも目を配りつつ、そしてそれらを評価しつつ、これからも「天才!」「すごい!」って言い続けるつもりです。
単純に、天才!すごい!って言われたら嬉しくないですか。
「天才に見られてるのか!今まで努力した甲斐があったぜ!ガハハ!」って思うのは、私の人間性が浅いからなのかしら。
「すごい!前と比べて〇〇が△△にできるようになったね!」
「前は〇〇だったのが、今は△△になったんだね!日々進化してるね!天才!」
塾講師時代に子供たちに言い続けてきたことを、宿題ノートに書き続けてきたことを、今は息子に言っています。
だから若干「お仕事感」が出てしまって、子供との関わりとしてこれでいいんだろうか…と思うこともあるんですけど、でも多かれ少なかれ子供と遊ぶ時ってみなさんそうなのかなと思うので、まあこれでいっかと納得しています。
「親が褒めすぎると自分一人で達成する喜びを感じにくくなる」みたいな意見も耳にして、ああうちの子こうなるかもしれない笑とも思いつつ、いやでも自分の好きなことを見つけたら外の存在なんか気にならなくなるくらい没頭するもんでしょ〜褒めないより褒める、見ないより見る、でも正解への最短ルートを提示するのはグッと堪えて、子が考える時間を確保する、うん、これでいこう!と思い直しているところです。
おまけPhoto:夕食を作っていたら「いえー!!!」という歓喜の雄叫びが聞こえてきた
息子は1人遊び中、基本的に無言です。
車のおもちゃを持って、一言「ぶー」と言うことはあれど、一度言ったらそのあとはだいたい黙ってますし、他の場面で喋り出すことは滅多にありません(おしゃべり図鑑を使っている時を除く)
でもそんな息子が、先日歓喜の雄叫びをあげたんです。
そこそこ大きな声で、
「いえーーー!!!!」
と。
確か息子はパズルで遊んでいたはず!どんな大作が出来上がったのか!?とわくわくしてリビングを覗いたら…
パズルの箱を積み上げて遊んでました。
いやこれもすごいよ!!(親バカ)
おわりに
現代人は「〜ですが、〜です」という文を使いがち、という話を耳にしました。
まんま私でした。笑
気にして使わないようにしようとしてみたんですが、無理でした(前振りのスピード回収)
少し前に歳をとって32歳になり、「賢い人であろうとするのはもう無理だ、諦めよう」と悟りを開きました。
自分の限界が見えてしまった。
夫みたいな賢い人間にはなれない。
「賢くあらねばならない」と思って今まで生きてきたけど、意外とそんなことはないし、他人は必ずしも賢くあることを求めてはこない、ということにやっと気がつきました。
賢くはないけど、語彙も教養も豊富ではないけど、それが私で、そんな私にもいいところはあるから、そのいいところを発揮して楽しく人生を送っていきたいと思います。
いいとこあるんですよ、私にも。
例えばほら、息子のいいところを見つけるのがうまい!とか!
実はこのブログ、今月で4年目になりました。
これからも書きたいことを書きたいように書いていくので、みなさんお暇なときがあればどうぞお付き合いくださいませ〜!
▽賃貸にいたころのおもちゃ収納▽
これはまだ息子が赤ちゃんのころです。
懐かしい。
▽引越し前に考えた収納案▽
今も似た感じになっていますが、まだ確定はしていません。
息子が使いやすいよう、仕舞いやすいよう、そして私も管理しやすいよう!
最終形態を模索するぞー!